K
宇宙を信じる白昼夢。人はいつか死に、人はいつも死ぬ。優しさの糸がちぎれそうな時、生きていたことを思い出す。 K.
子供の頃は何でもバカにしていたのに、今は何にもバカにできなくなった。それが成長なのかもしれないけど、ふとした瞬間、あの頃の牙を取り返したいと思う時がある。 K.
隙間の美学。何を掴んでも壊してしまう日の、気休めにも似た小さな救済。 K.
昨日会わなかった人の凱旋。過去は変えられない、と幕は下りかける。 K.
今日は僕、あの辺りにいただろう。風と空の交わるところ、旅と言葉が終わるところ。 K.
かつて言葉を使えなかった時に見た、どうしようもない現実を思い出す。あの頃の感情を表現できないのなら、いまさら何を言葉に託すと言うのか。 K.
景色の思惑。君は何か考えてるようで、ただ風を追っているだけ。 K.
何も損なわれることなく、ただ穏やかに生きて生きたい時の、遥かなる瞑想曲。いつかノイズでちぎれ、雨でバラバラ。 K.
「本質」の独り歩き。ふと振り返ると後ろは真っ暗、足元はおぼろげ。えっと、僕って誰だっけ? K.
居場所なんてない。ただいつも、そこには私が一人で居るだけ。季節が夏だろうと、いずれ冬になろうと。 K.
見覚えのない景色の中で思い出を探す熾烈な夏。 K.
張り付いた日常、幸せの残夢。君は変わらない。今までも、これからも。 K.
水辺の絵画。何かありそう、何もなさそう。 K.
昔見たような見知らぬ風景。積み重ねて生きる小さな毎日の隙間を、頼りない糸で紡いでいく感じ。でもその針が何処へ行くのかは、全然分からない。 K.
週の真ん中で心がボンヤリ。世界は小さくたって構わない。 K.
季節の思い出や小さな悲しみの記憶を飲み物の羅列に託して、 小銭をジャラジャラ持て余す雨の日。 K.
お気に入りの「散花スポット」(咲いてるのもあるけど)。通る時には必ずチェックして、毎回小さな芸術鑑賞を楽しんでおります。 K.
ただ笑顔でありさえすれば、という気持ちが擦り減っていく。何がそうも追い立てるのか、背中には誰の顔があるのか。 K.
心が彷徨う時、救いの手はするりと指の間をすり抜けて、ただ暗がりだけが頼りになる。それでも目は光を覚えている。幻ではなく、事実の虚像として。 K.
上手くやっている証拠も、下手かどうかの判断もないまま、あてもなく彷徨しているような感じ。でも、それくらいが実は一番気楽なのかしらん、と流星のような雲を見上げ。 K.
小さな点がぼんやりと繋がっていく感じ。自分の好きなものが呼び合って、どうにかこうにか人生を綱渡りできているのかもしれない。 K.
気が付くと、単なる5月に成り果てている。日差しが強過ぎるので、もはや夏じみて。 K.
とある平成の終わりの日。空の雲だって毎日変わるんだから、そりゃあ年号だって変わるだろう。でもやっぱり寂しいよなぁってことを、いつか思い出すための一枚。 K.
雨の日は、家路が遠い。 K.
いつからか傍にあることが当然のように思うもの。けれど物事はいつでも姿を変え、時間は猛然と進む。終わりを告げる声が聞こえてから、ようやく気付く愛着。平成。 K.
アジア回想。何故かふと、「デンドロカカリヤ・水中都市」という言葉が甦る。 K.
久々にアジア萌を体感して来ました。カオスの中の秩序。 K.
選挙帰り。こうやって突然春になり、また夏が来る。 K.
訳の分かったストーリー、整頓された人生、価値のある誰か、救済と喜び、死すらも美談。それならいっそ、この世から消えた方がマシだ。 K.
新しい元号が発表され、実はギリ平成生まれの私は不思議な気分で一杯ですが、不思議ついでに植物園で見たケッタイな人たちを。 K.