季節の思い出や小さな悲しみの記憶を飲み物の羅列に託して、 小銭をジャラジャラ持て余す雨の日。 K.
お気に入りの「散花スポット」(咲いてるのもあるけど)。通る時には必ずチェックして、毎回小さな芸術鑑賞を楽しんでおります。 K.
ただ笑顔でありさえすれば、という気持ちが擦り減っていく。何がそうも追い立てるのか、背中には誰の顔があるのか。 K.
心が彷徨う時、救いの手はするりと指の間をすり抜けて、ただ暗がりだけが頼りになる。それでも目は光を覚えている。幻ではなく、事実の虚像として。 K.
陸上生活が嫌になる季節。 Y.
放射線のような生き方に憧れて。 Y.
上手くやっている証拠も、下手かどうかの判断もないまま、あてもなく彷徨しているような感じ。でも、それくらいが実は一番気楽なのかしらん、と流星のような雲を見上げ。 K.
小さな点がぼんやりと繋がっていく感じ。自分の好きなものが呼び合って、どうにかこうにか人生を綱渡りできているのかもしれない。 K.
気が付くと、単なる5月に成り果てている。日差しが強過ぎるので、もはや夏じみて。 K.
とある平成の終わりの日。空の雲だって毎日変わるんだから、そりゃあ年号だって変わるだろう。でもやっぱり寂しいよなぁってことを、いつか思い出すための一枚。 K.
雨の日は、家路が遠い。 K.
いつからか傍にあることが当然のように思うもの。けれど物事はいつでも姿を変え、時間は猛然と進む。終わりを告げる声が聞こえてから、ようやく気付く愛着。平成。 K.
アジア回想。何故かふと、「デンドロカカリヤ・水中都市」という言葉が甦る。 K.
久々にアジア萌を体感して来ました。カオスの中の秩序。 K.
選挙帰り。こうやって突然春になり、また夏が来る。 K.
訳の分かったストーリー、整頓された人生、価値のある誰か、救済と喜び、死すらも美談。それならいっそ、この世から消えた方がマシだ。 K.
新しい元号が発表され、実はギリ平成生まれの私は不思議な気分で一杯ですが、不思議ついでに植物園で見たケッタイな人たちを。 K.
水から出てきているだけでもトリッキーなのに、こんなに美しいなんて、ずるい花だ。 K.
裏切られないためには、愛さないこと。愛さないためには、期待しないこと。 K.
存在の証明。存在の虚しさ、影の強みと、脆さなど。 K.
水と船。光と影のような関係。 Y.
今日と明日の狭間。できるならじっとそこに挟まっていたい潰れた感情を、猫は見ている、猫は見ていた。 K.
物語の死を、誰も弔ってはくれない。結末は彼と手を組んで、物語をにべもなく葬り去る。 K.
進んでいく先は、他人には見えぬ。 Y.
君は何だ、あれは誰だ。デジャヴか幻、それともただの妄想か、紛れもない現実か。目を反らした瞬間、彼もそれも、たちまちただの銀の粒。 K.
謙虚であれと言われて、自分を低く評価することが謙虚だと捉えていたけど、そうではなくて。自分の中の何かを「追い求めること」なのかもしないと考えているこの頃。 Y.
雨上がりの虚しい双子。 K.
始まりの林檎を、最期の時まで寝かしている。 Y.
孤独を受けれられた時、孤高になるのかもしれない。 Y.
ススキが揺れる。天気は曇り。僕は立つ。波の音。僕の心の中には未だ何も見つけられず。 Y.