2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧
休みの日こそ、その人となりが出ると思う。 寝て掃除して洗濯して、或いはそれすらしないか。 その後本読むのか友達とどこか行くのか服買いに行くのか。 人を人たらしめる日は休日だ。 Y.
地獄なら、天国のかどを右に曲がってすぐですよ。 K.
約40本ほどの茶杓と向かい合う午後でした。茶杓とは仲良しですが、茶はたしなみません。 K.
そんなに多くの戯曲を読んだわけではないけど、ブレヒトの三文オペラが戯曲の中で一番好き。 異化効果というモノを提唱した作品でもあるんだけれど、何より面白い。 古典的な文学が好きな人には戯曲も薦めたい。 Y.
不正をあんまり追い廻すな。 やがておのずと冷えて来る、外は寒いんだ。 この暗さ、このひどい寒さを考えろ、 嘆き声の響きわたるこの谷間では。 (ブレヒト『三文オペラ』より) Y.
時には休み、時には怠け。 ダラけてるように見えても、継続という情熱が見えていないだけ。 Y.
日常の変な光景が好きで、変だけど綺麗だったり、それこそ綺麗は汚い的なこととかその逆とか、なんかそういうものが好きになりがち。アンドレ・ブルトンの言う "不可思議は常に美しい" ってのはもしかして…… K.
秋の名残。 Y.
「わたしは、氷水を飲むといい気持なの。だのにあなたはこんな人生が、束の間の満足のために危険を冒してはならないほど大事なものだと、真顔でわたしに説教なさるおつもりね。――わたし、もう幸福なんかどうでもいいの」(ツルゲーネフ・『初恋』より) K.
自然との共生なんて嘘っぱちだ。 汚くて、めんどくさくて、儚くて偉大な自然を見ずに、色だけを取ってつけたような自然を手に入れて共生してる気になっている。 欠点との共生こそ、人を豊かにする。 Y.
ずっと夜なら、世界はピカピカしっぱなしかもしれない。朝が来なければ、夜になって気持ちがどんよりすることもないかもしれない。それでも朝がまた来てしまって、過剰な煌々の群は太陽っていう何だかデカイ奴に吸われてしまって。 K.
アンドレ・ブルトン『シュルレアリスム宣言・溶ける魚』(岩波文庫/訳・巖谷 國士/1992年)をやっと読み終わる。試される思考。シュールとは何かを本格的に考えたい人、自動記述テクストの迷宮に迷い込みたい人、むしろ何も考えたくない人へ…。56ページに…
セックスした後の二人の布団の匂いは何と言うのだろう。セックスしてない二人の部屋の匂いは何と言うのだろう。 Y.
白い(或いはバベルの)細塔。Y.
生命の絶頂。こんな終わり方なら、どんなに美しい。 K.
雷鳥は雪が降ると、羽毛を白くし同化する。花は、葉と対照的な赤や黄色の花を咲かせる。 Y.
継続が、万物を肥やす。 Y.
夜の隙間から穏やかな死が手を伸ばしてくる。(穏やかな死というものが、実際にあるとして) K.
懺悔者の背後には美麗な極光がある。(『萩原朔太郎詩集』より) Y.
悩むという快楽。 Y.
終点の駅を告げるアナウンスが流れなかった。運転手と私だけの空間で、いつになったら流れるだろうかと待ってみても、電子掲示板は真っ黒。仕方なしに席を立って無駄に移動すると、思い出したようにアナウンスが流れた。私もすぐさま降車ボタンを押した。謎…
雪の輪郭、雪が輪郭。 K.
入り口を見つけた。 Y.
日本のどこかでは雪が降り。 オーストラリアのどこかでは陽が降り注ぎ。 イギリスのどこかでは霧立ちのぼる。 そんなことを考えながら、今日も僕はくしゃみをする。 Y.
音もなく雪が降り積もる深夜。誰かが寝ていて、誰かが起きていて。急に空腹を感じてトーストを焼く。朝のような夜。 K.
石畳は、雨の日こそ映える(スリップにご注意を)。 Y.
小学生の頃、ジムキャリー主演のトゥルーマン・ショーを見て衝撃を受けた。 世界観が崩壊された。 トラウマの作品。 そうか、自分は見られているんだってのを、強く意識し始めた。 以後、高校に入るぐらいまで、誰かに撮られてる感覚がつきまとった。 Y.
黒く汚れたびしょびしょの雪、都会の雪。ただ踏みつけて歩く、失われた純白の。 K.
「都市に積る雪なんか 汚れて当たり前という そんな馬鹿な 誰が汚した」(『しんしんしん/はっぴいえんど』) K.
アスファルト。雨上がり。照り返し。ちくちく、キラキラ。 K.